サワードゥ・ブレッド 3:伝統と革新が織りなす新しいパンの世界—その起源

サワードゥ・ブレッドってどんなパン?—その起源

パンのはじまり

人類が穀物を挽いて粉を作ったのは、少なくとも3万年前とされます。
麦の栽培が始まったのが1万年前だと言われています。
そのころ、人類はまだパンを焼く技術をもっていませんでした。何千年もの間、麦をおかゆにして食べていました。

石と石の間に麦をはさんで挽く——つまり製粉ができるようになると(手作業の、たいへん効率が悪い労働でしたが)、人類はその粉を水で溶き、薄くのばして焼くことを始めました。
この発酵していない平焼きのパンが、パンの起源です。誕生の地ははっきりしませんが、麦の原産地である中東、メソポタミアのどこか。

サワードゥ・ブレッドのはじまり

人類がついに発酵させて膨らませたパンを焼くようになったのは、約6000年前の古代エジプトでした。遺跡から、気泡のあるパンの化石が見つかっています。

小麦粉と水を練り合わせてそのまま放置したら、翌日には膨らんでいた。
それを焼いてみたら食感はやわらかく、味もよかった——おそらく人類は偶然に発酵という現象を発見し、それが食べること、生き延びることにとって非常に重要だとわかったのでしょう。
古代人はこの発見を神様からの贈り物だと考えたそうです。

小麦と水が発酵して生まれたこのパンこそ、サワードゥ・ブレッドの起源です。

サワー種は古代ギリシャへ、そしてロ−マへ

サワー種の発見——つまりパンの知識は、紀元前800年ころにギリシャ人に受け継がれました。

ギリシャではパン職人が誕生し、オリーブやレーズンを入れたパンが作られるなど、さまざまな種類に展開していきました。

サワー種パンの作り方の知識はさらにローマへ伝わりました。この時代の学者、大プリニウスは37巻からなる壮大な百科事典のような著作『博物誌』のなかに、サワードゥの継ぎ方を書き記しています。

ローマだけで200軒以上のパン屋があったそうです。
また、ローマ帝国の支配下にあった古代都市、ポンペイの遺跡からは、製粉所や製パン徐、石臼や石窯、当時のパンが発掘されています。古代ローマ帝国時代に、パンをつくるための技術が相当なレベルで発達したのは確かです。

その後パンは、ローマ人によるヨーロッパ各地の征服を通してヨーロッパへ広まっていきました。

一方、ヨーロッパのみならずアフリカやアジアにもサワー種はありました。
エチオピアのインジュラ、スーダンのキスラといった平たいパン。米やレンズ豆でつくるインドのイドリ、米でつくるフィリピンの蒸餅プートなどは小麦粉が材料ではないけれども、サワー種発酵によるものです。

6000年前といまをつなぐサワードゥ種だけど…

小麦粉と水だけ。もっと広げていうと穀物と水。ミニマルな材料が空気中の微生物を取り込んで、発酵という現象を作り出します。だから、世界中でサワー種が発見され、パンが焼かれてきたことは考えてみれば不思議なことではない。

それにしても、いま私の前にあるパン籠(ずいぶん前に長野県の野沢温泉村で購入したアケビの蔓で編まれたお気に入り)に入っているサワードゥ・ブレッドが、6000年前の古代エジプトで初めて焼かれたパンと原理的にはほぼ変わらないことに、静かな驚きを感じます。

人類はなぜ小麦粉と水を混ぜて放置すると膨らむのかという理由を知らないままに、何世紀もの間、サワードゥ種を使ってパンを作り続けてきたのです。

19世紀になって、大激震が起こるまでは。 【つづく】

 

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