サワードゥ・ブレッド 5:伝統と革新が織りなす新しいパンの世界—ゴールドラッシュとの関わり

ゴールドラッシュとサワードゥ・ブレッド

サンフランシスコ・サワードゥ・ブレッドの誕生

20世紀の後半、大量生産・大量消費の時代。安定して大量供給ができるイースト発酵のパンが主流となり、サワードゥ・ブレッドは時代の片隅に追いやられていきました。

 

ここから時計を100年ほど巻き戻してみます。と、サワードゥ・ブレッドが歴史に登場する街があるのです。
サンフランシスコです。

 

現在でもサンフランシスコ・サワードゥ・ブレッドはサンフランシスコ名物としてたいへん有名です。私は現地のパンを食べたことはありませんが、東京の紀ノ國屋のベーカリーのサンフランシスコ・サワードゥ・ブレッドを見つけると買っていました。もうずいぶん前から作られていると思います。

 

それはともかく、サンフランシスコでサワードゥ・ブレッドがつくられるようになったきっかけは、19世紀にこの街を席巻したゴールドラッシュでした。

ひとりのフランス人とそのベーカリー

ゴールドラッシュの発端は、1848年に製材所で金が発見されたこと。このニュースはまたたく間に世界中に広がり、一攫千金を夢見る多くの人たちがカリフォルニアに殺到しました。

 

フランスからイシドール・ブーダンがやってきたのは1849年でした。この年に金を求めてやってきた人たちは「49ers(フォーティナイナーズ)」と呼ばれますが、ブーダンはそのなかのひとりからサワー種のスターターをもらったとされています。

 

彼はすぐにベーカリーを創業しました。それが「ブーダン・ベーカリー」です。1848年に約1,000人だったサンフランシスコの人口が49年には25,000人に急増したので、パン屋は大繁盛しました。多くの新参者はヨーロッパからの移民でしたから、故郷の味を求めていたのでしょう。

 

一時的なゴールドラッシュよりも持続可能なパン製造ビジネスを選んだイシドール・ブータンは賢明でした。ブーダン・ベーカリーは現在も当時のサワー種を守り、歴史的名店として営業を続けています。およそ170年間継ぎ足されつづけてきた、最古のサワー種を使ったパンを現在でも食べることができます。

金脈探したちが運んだサワー種

カリフォルニアで金の採掘量が減ると、人々は新しい金脈を求めてアラスカやカナダ西部に向かいました。

 

このとき、人々はサワー種と一緒に移動しました。寒さから守り、体温で酵母の活動を促すために首からさげたり、ベルトにつけて腹部に当てたりして運んだと言われています。

 

なかでも経験豊富な金脈探しは「サワードゥ」と呼ばれていたそうです。小麦と水があれば作ることができ、焼き上がった後は長期保存が可能なサワードゥ・ブレッドは、当時の金鉱堀にとって重要な食料だったことがうかがえます。

 

以上のように、まずカリフォルニアにヨーロッパからサワー種がもたらされ、根付いていったのです。

たとえばアメリカンフットボールのチーム「サンフランシスコ フォーティナイナーズ」のマスコットの名前は「サワードゥ・サム」です。このことからも、ゴールドラッシュとサワードゥはサンフランシスコの歴史と文化のなかで密接に結ばれていまることがわかります。

 

そして、この街は現在のサワードゥ・ブレッド・ルネッサンスの一翼を担っているのです。              【つづく】

 

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